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ラグビーについて

2015年09月07日(月)
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ラグビーの歴史

2019年に日本で開催されるラグビーワールドカップの開催地の1つに新石切駅からも近い花園ラグビー場が選ばれました。
そこで本日はラグビーについて書いていきたいと思います。

ラグビーの正式名称はラグビーフットボールです。
ラグビーは1823年、イングランドのパブリックスクールであるラグビー校でのフットボールの試合中、ある選手がボールを抱えたまま相手のゴールを目指して走り出したことが始まりとされ、1840年にはボールを持って走る「ランニングイン」が確立して普及し始めました。ラグビー校ではラグビーの起源のほかにもハーフタイムにサイドをチェンジする習慣や楕円球のボール、H型のゴールポストなど多くの習慣が生まれました。
19世紀のフットボールはラグビー校をはじめパブリックスクールごとに独自のルールで試合を行っていましたが1863年にフットボールアソシエーションとロンドンにある12のクラブが会議を開き統一ルールを作成しました。
このとき、ボールを持って走ること・ボールを運んでいる相手のすねを蹴る事・引っ掛けてつまずかせる事・押さえつける事がルール違反となることに合意できない一部のクラブの代表がフットボールアソシエーションを脱退したことにより、ラグビーとサッカーが別のスポーツとなりました。
1895年、選手の労働会社への休業補償問題がきっかけでイングランド北部でラグビー協会からの分裂がおき、プロリーグが作られました。それ以降ラグビーはアマチュア主義のラグビーユニオンと報酬を目的とするラグビーリーグの2つに分かれています。対立関係にあったユニオンとリーグですが、ワールドカップなどをきっかけに対立は緩和していき現在では選手がユニオンとリーグを行き来することも多くなりました。

日本でのラグビー

日本でのラグビーの最初の試合はイギリスの船員によって1874年に横浜で行われたそうです。初めて公式に紹介されたのは、1899年にエドワード・B・クラーク教授と田中銀之助によって慶應義塾大学の学生に紹介された時だとされています。
20世紀初頭、明治大学・慶應義塾大学・早稲田大学が日本のラグビーの中心となり、現在でもこれらの大学はラグビー強豪校です。20世紀初頭の日本のラグビー選手登録数は6万人以上と非常に多かったにもかかわらず、日本のラグビーは極度に孤立していたため1930年代まで海外遠征は行われませんでした。
第二次世界大戦で多くの選手が犠牲になり競技施設も爆撃により破壊されましたが戦後驚くべき速度で復興し、1945年9月には京都で戦後初めての学校対抗戦が行われました。この年、神戸製鋼所が労働者の規律向上のため社員のラグビー参加を後押ししたことが、今日の企業のラグビーへの深い関与のさきがけとなりました。
また、「スポーツの宮様」と呼ばれた秩父宮雍仁親王が日本におけるラグビーの振興に尽力され、秩父宮ラグビー場にはラグビーユニフォーム姿の秩父宮雍仁親王の像が建てられました。
ラグビー日本代表はアジアラグビーフットボール大会ではほぼ全ての大会で優勝しています。全てのワールドカップ予選を突破し1987年のワールドカップ第一回大会から途切れなく出場していますが世界のトップクラスの国々とはまだ大きな差があり、1991年ジンバブエに勝利したことが唯一の勝ち星となります。
これからの日本代表のますますの成長と活躍を応援したいですね。

執筆者:谷口 秋代

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