街のお役立ち情報からおもしろネタまで! 店舗発!地域情報
賃貸情報>店舗発!地域情報>(地域密着コラム)歴史>東大阪に東洋のハリウッドがあった!?

東大阪に東洋のハリウッドがあった!?

2015年10月27日(火)
0 0 0 0

かつて東大阪にあった2つの映画撮影所

東大阪にかつて2箇所の映画撮影所があったことをご存知ですか?
東大阪には大正から昭和初期にかけて「帝国キネマ」の小阪撮影所・長瀬撮影所が存在していました。

1914年、大阪市の千一前交差点に建設された一大娯楽センター「楽天地」の「キネマ館」で上映する映画を撮影するため「天然色活動写真株式会社」が設立され、1916年に小阪撮影所を建設しました。1919年に天然色活動写真株式会社が解体した後「帝国キネマ演芸株式会社」が設立され、小阪撮影所は帝国キネマ小阪撮影所として稼動しました。第一次世界大戦後、アメリカ映画が大量に輸入されたことに伴い新しい撮影技術や大正デモクラシーの高揚の影響で活動写真が盛んになり、小阪撮影所では小さな撮影所ながら年間100本以上の作品が作られました。
1923年に芦屋撮影所が開所したことを受け小阪撮影所は一度閉鎖しました。帝国キネマから独立した「東邦映画製作所」の撮影所として一時復活しましたが、東邦映画はわずか2ヶ月で解散しました。その後、帝国キネマの撮影所として再開しましたが、長瀬撮影所が開所したため1929年に完全に閉鎖されました。

長瀬撮影所は現在の樟蔭学園の樟徳館の場所にありました。
1928年に長瀬川の河畔に新設された敷地面積約30,000㎡に3,000㎡の屋内ステージ2棟の広大な撮影所は「東洋のハリウッド」と呼ばれましたが撮影所や撮影機材などへの投資が経営を圧迫したことや、ほかの映画制作会社が関東大震災から復興したことにより窮地に陥りました。1929年以降は松竹と提携し映画撮影をするようになり1930年にプロレタリアート映画「何が彼女をさうされたか」が大ヒットしましたが同年に火災により消失し、わずか2年という短命に終わりました。

「帝国キネマ」のその後

長瀬撮影所焼失後まもなく千日前の「楽天地」も閉鎖され、跡地に松竹運営の「歌舞伎座」が建設されました。
帝国キネマは1931年に「新興キネマ」に改組され消滅しました。かつて帝国キネマの撮影所として稼動した5つの撮影所(小阪・芦屋・巣鴨・長瀬・太秦)のうち現存するものは太秦撮影所(現在の東映京都撮影所)のみとなっています。

短期間ではありますが、2箇所の映画撮影所があり、津原神社の馬場の松林など周辺地域でのロケも行われるなど東大阪が映画製作の拠点になっていました。日本の映画の発展に東大阪が関わっていたということを現在ではあまり知られていないのが少し残念ですね。

執筆者:谷口 秋代

コラム検索
キーワードで探す
店舗・エリアで探す
ページトップ?