ALL I NEED IS 隅田川

隅田川の歴史
ALL I NEED IS 隅田川
さて本日で、やっと3度目の登場となり
もはや顔なじみになり始めた大久のコラムを今日も楽しくご一読頂ければ幸いである。
では早速だが今日は浅草の中で、浅草寺の次に大きい面積を誇っておきながら
活躍具合が限定的な『隅田公園』について綴ろうと思う。
隅田公園は、台東区随一の桜の名所でありながら
上野恩師公園のアクセスの良さに押され勢力図的に上の下クラスで
抑えられている野球で言うところのキャッチャー的存在である。
もともとは、江戸時代以来の庶民の行楽地で
カネボウ本社跡地のある鐘ヶ淵から墨田区役所周辺までがその区域とされていたが
上野恩師公園のアクセスの良さと、名前が恩師公園というパワースポットっぽさに
押され精々少年野球場のあたりから墨田区役所周辺までと規模まで押さえ込まれている。
ここで皆様にひとつだけ、どうしてもお伝えしておきたいことがある。
上野恩師公園は、1873年5月に太政官達に東京府公園として指定され
1876年5月に公園建設開園されたのに対し、
隅田公園は、1923年震災復興三大公園(浜町公園・錦糸公園・隅田公園)として
建設されたのである。
えっ。。。
そう、上野恩師公園のほうが圧倒的に歴史が古いのである。
これは申し訳ない。
あたかも隅田公園のほうが素晴らしいような口ぶりで話してしまった。
いや、これは私の文才が無いからである。
公園に優劣をつけるのは良くない。
公園はみんなのものであって、歴史など関係ないのである。
でも皆さん、是非とも隅田公園に遊びに来てほしい。
スカイツリーの眺めと、隅田川の包容力にきっと心を奪われることだろう。
そしてそんな私だが、出身は赤羽。慣れ親しんだ川は荒川なのである。
執筆者:大久 和馬