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光が丘ってどんな街??

2015年08月19日(水)
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光が丘ってどんな街??その壱

人工都市【光が丘】の歴史。

本日は、光が丘の街を簡単にご紹介致します。

光が丘といえば消防署に警察署、郵便局に区の出張所、緑の多い広大な公園にショッピングセンター、図書館、大学病院、ゴミ焼却場など生活のすべてがそろっている便利な街というイメージがあります。

この一帯は、1973年に返還されるまでアメリカ領だったんです。
第二次世界大戦後まもなく、現在の光が丘公園一帯に広がっていた成増飛行場が米軍に接収されてから3年後に米軍の家族宿舎(グラントハイツ)が誕生しました。広大な敷地に1200世帯が暮らし、学校や教会、郵便局、映画館などもありました。そのグランドハイツの道一本向こう側には、日本人が暮らす小さな木造家屋や団地がありました。
1973年の返還後、1983年に機能的な未来都市へと新大陸化した光が丘に30代~50代の働き盛りの世帯が押し寄せました。

計画人口4万2000人のこの街が、もっとも人口であふれていたのはバブルがはじける1993年。ピーク時には3万8171人が生活いしていました。
ちょうどそのころに現在の【IMA】(ショッピングモール)がオープンしました。

綿密な再開発計画の下に建設された人工都市だけに、導線は車・人の流れが計算され、マンションや多くの施設が効率よく並んでいます。
30年前に開発されているにもかかわらず、ライフラインのいっさいを地下埋設した当時では1歩も2歩も先を行く憧れの街で人気の未来都市でした。

歴史を調べてみると面白いことがたくさんありました。
光が丘についてはもっとたくさん伝えたいことがありますので次回【その弐】で引き続きご紹介いたします。

執筆者:山辺 大輔

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